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先週は3/12に、アントニオ猪木議員が、参議院予算委員会で質問に立ち
ました。その発言内容の全文を記録しておきます。こんなこと言ってたんだよ。
[アントニオ猪木議員]
元気ですか~っ、元気があれば何でもできる。元気があれば質問もできると
いうことで。え~、猪木の常識、非常識で通っております。すいません。また、
この台も全然変わってませんね。
ちょうどこの震災で私の仲間が、翌日震災地にトラックで物資を運びました。
途中止められましたが自衛隊の先導で無事届けることができまして。そのあと、
4月8日に私がいわきあるいは東松島などいろんなところ回りまして。そして、
体育館に避難されている人たち、そこへ車から降りたらいきなり皆さんが赤い
タオルをしてですね、元気ですか~っというので、私がびっくりして。体育館
に入りましたら、年寄りの方もみんな立ち上がりまして「1、2、3ダー」を
やって「元気になりました」ということで喜んでもらいました。
ちょうど私は、18年ぶりに国会に復帰したのですが、ここでまさか質問の
席に立つと思っていなかったのですが。25年前に参議院に初当選して、その
あとすぐに、ある同僚議員から誘われまして、会津若松というところで講演を
いたしました。演説をしているときに後ろから暴漢に襲われて。頭に傷がまだ
残っております。入院したあと10日後にまたこの席に立たせてもらい、頭と
首に包帯だらけだったことを今、思い出しております。
今日は北朝鮮問題に絞って質問をさせていただこうと思っています。政府に
協力する立場を明確にした上で質問をさせていただきます。よく私がどうして
北朝鮮にそんなに一生懸命、あるいは北朝鮮に足を運ぶのかときかれることが
ありますが、私の師匠・力道山は、出身地は朝鮮半島の咸鏡南道というところ
です。戦後、ご存知の通り、テレビに登場して本当に敗戦の中で夢をなくした
国民が力道山の勇壮を見て、そして元気と勇気、明日の生きる力を与えてくれ
ました。私もその中の一人です。しかし、私が14歳のときにブラジルに家族
をあげて移民することになりまして。私の子どもの頃の夢はプロレスラーにな
ることだったのですが、夢は遠くにいってしまった。しかし、3年経って私が
陸上競技の砲丸投げで優勝したら、それが新聞に載りまして。ちょうど力道山
師匠がブラジルに遠征に来てまして、その場でスカウトされて日本に戻ってき
ました。もう二度と日本の土を踏むことはないと思っておりましたが・・・。
そして平成元年、参議院に当選したとき、ある人から写真を見せてもらいま
した。その写真に力道山の娘が北朝鮮にいるということで。例えば私が力道山
の付き人をやっておりましたので、一日の行動もよくわかっておりましたが、
向こうからもらった本の中に「力道山物語」というのがありまして、その中に
いろんなことが書いており「そうか、あの時はああいうことか・・」と。新潟
で万景峰号で娘さんにあったと。
あるいは師匠の周りには、政財界の大物がたくさんおりました。そして日韓
条約の2年前ですが、大野伴睦さん、自民党の実力者が日本のコミッショナー
もやっておりましたので、力道山も招待を受けることになったのですが本人も
だいぶとまどったようです。しかし、韓国にいきましたら大変な歓迎をうけま
して。本人も感激し、そして「一つだけお願いがある。きいてくれ」というこ
とで。どういうことかというと「板門店に連れてってくれ」と。力道山が板門
店にいきました。63年ですが、1月の寒風吹きすさぶ中を上着を脱ぎ捨て、
やにわ走り出したので軍隊の皆さんも、そこにいた皆さんがみんな真っ青にな
りました。そして北に向かって走ったのですが、足を止めて師匠は大きな声で、
たぶん「お母さん」あるいは「お父さん」。分断された国家の悲しみ。そして
日本でこれだけ有名になった。その勇壮も家族や故郷の人に見せることができ
ない無念さ。そんな分断された師匠の心を、私は1994年に、師匠の果たせ
なかったことをということで訪朝することになりました。その時に、ちょうど
北京から北朝鮮に向かおうという空港に行く途中に、金日成主席が逝去という
ニュースをききましたが、9月に招待状がきて北朝鮮に行きましたところ、そ
の娘さんとも会い、またむこうの要人とも会いました。その時に「本当のプロ
レスを見せましょうか」ということで、翌年の4月に「平和とスポーツの祭典」
を開催いたしました。なんと、2日間で38万人という人が足を運んでくれ、
それ以来、私が毎回行くたびに町中の人たちも、あるいは軍隊の人までが私に
手を振ってくれます。
そこで総理に質問ですが、私は過去20年間、議員であっても民間人であっ
ても、一日も早くお互いが本音の話ができる環境づくりに、今日まで務めてま
いりました。かつては拉致担当大臣の親書を北朝鮮に届けたこともあります。
一貫して政府に協力してきました。対策本部より北朝鮮情勢について教えてい
ただきたいという話もありました。見たこと、あるがままのことを話しました。
その際にも申し上げましたが、私は今年の一月に通算28回の訪朝を行いまし
た。その時、大きな進展があったのが、国会議員の訪朝団計画です。訪朝計画。
同僚の議員から「もしその訪朝団に参加するのであれば、ぜひそのむこうから
正式な書面での招待状があれば・・」ということをききまして。私がこの一月
に金永日書記と話をし、朝日親善協会から正式な日本の議員団の招待状をいた
だいてまいりました。いままでにこのような北朝鮮が招待状を出したことはな
いと思いますが、国会議員の訪朝団について総理のお考えをお聞かせください。
[予算委員会委員長]
アントニオ猪木議員君に申し上げます。最初のご発声は元気がでるだけでな
くて、心臓に悪い方もいらっしゃると思いますので、今後はお控え願いたいと
思います。
[安倍晋三内閣総理大臣]
いわゆる議員外交につきましてはですね、一般論として申し上げれば、国民
の代表である議員が外国政府等、あるいは相手国側の議会とですね、交流を深
める中において、それぞれの国との関係を発展させていくということにおいて
はですね、大変有意義であるし、国民の声を直接説明し、そして訴えかけてい
くことにおいては有意義であると、このように思いますが。一方、我が国とし
てはですね、対北朝鮮措置として、我が国から北朝鮮への渡航の自粛を要請を
しているわけでございます。これは北朝鮮におきましては、いわば日本に対す
る拉致問題、拉致という行為。そしてミサイルの発射、核実験。累次にわたる
こうした行為に対して、国際社会が制裁を課しているという状況にあるわけで
ございます。その中におきましてですね、政府の方針を踏まえて適切に対応さ
れるべき事柄ではないかと、このように思うわけでございまして。御党におき
まして、この問題にずっと対応してこられました中山恭子議員、あるいは平沼
赳夫議員ともよく相談をしていただきまして、適切に判断していただきたいと、
このように思います。
[アントニオ猪木議員]
そのあたりは「この世界が根回しが大事だ」ということをよく勉強させてい
ただきました。そこで次に安倍総理にお伺いしますが、北朝鮮の情報が少ない
中で、直接対話する意義が大事であるかどうかお聞きしたいと思います。
[安倍晋三内閣総理大臣]
先ほども申し上げたとおり、北朝鮮に対してはですね、基本的にはですね、
様々な課題を解決をしていくためには、これは対話を行わなければ解決はして
いかないということでございます。しかし、残念ながら北朝鮮におきましては、
今まで日本との対話の中において、様々な約束等についてですね、北朝鮮側に
おいてその約束が果たされていないという現実もある中において、我々は国際
社会と協力しながら北朝鮮に圧力をかけ「現在とっている政策を変えなければ、
北朝鮮の未来はない」という認識の下に対話を行っていくことによって、初め
て結果がでてくるんだろうと、このように思っているところでございますが、
我が国は、関係国とも緊密に連携をしつつ、北朝鮮に対して不断に情報収集を
行い、情勢を注視をしているところであります。我が国としては、先般の日朝
赤十字会談の機会を利用いたしまして、政府間でも非公式に意見交換を行った
ところであります。しかし北朝鮮との直接対話のためには、北朝鮮が拉致問題
の解決や非核化を含めて、問題解決に向けた真摯な姿勢を示すことが何よりも
重要であります。また、北朝鮮との議員外交については、我が国として先ほど
申し上げましたような考え方でございまして、適切に対応されるべき事柄では
ないかと、このように考えております。
[アントニオ猪木議員]
今申していただきました対話の大切さ。さっき岸田外務大臣も申されており
ました。韓国、あるいは中国にもいろんな私の友がいますが。対話の大切さを
今ききました。まずその中で一番、本当の大事な部分は情報だと思いますが。
テレビあるいはその他いろんな部分で情報が耳に入り、北朝鮮はそれに対して
一切反論をいたしませんから、それがどれが事実かというのはわかりませんが。
たぶん、政府の皆様より私の方が北朝鮮における情報は多くもっているのでは
ないかと自負しています。そこで平和外交を標榜される安倍総理に対し、大局
を見つめた決断をしていただきたいと思います。総理の決議をうかがいたいと
思います。
[安倍晋三内閣総理大臣]
議員が北朝鮮を訪問された94年。これはまさに北朝鮮と国際社会において
KEDOの合意がなされたわけでございます。このKEDOの合意によってで
すね、北朝鮮はいわば核開発をやめるということであったわけでございました。
それに対しまして国際社会は軽水炉をつくるということでありまして、日本も
一千億円出資をするということになり、日本はその一千億円にむけて、出資を
していったわけでございますが、残念ながら北朝鮮は約束を守らずにウランの
濃縮計画をだいたいほぼ同時期から進めていたわけでございます。ここに外交
の難しさがあるわけでありまして、いわば行動対行動。しっかりと我々が彼ら
が行動を示せばこちらも行動を示しますよと。こういうことの中において結果
を出していくことが大切であろうと思います。私もその頃からずっと北朝鮮の
問題に関わっているわけでありますが、大切なことはしっかりと北朝鮮に約束
に守ってもらうことでありまして。いわば対話のための対話を行い、こちらが
何か出すということに関しましては、残念ながら、それでこちら側の結果は得
られていないという現実があるわけです。ですから大切なことはですね、いま
北朝鮮にまさに拉致問題について「解決をしなければならない」という認識に
たってもらわなければならないわけでありまして。これを解決をしなくても、
北朝鮮はなんとかやっていけるよ、あるいは日本とつきあいを再開をしてです
ね、この問題を解決していかなくても物事が進んでいく、という判断をされて
しまっては、残念ながら拉致問題は永久にこれは解決されない。これが、私が
ずっとこの問題に関わってきた中において得た結論でもあります。だからこそ、
大切なことは、国際社会と連携しながら、圧力をかけるべきときはしっかりと
圧力をかけながら、その中においてチャンスをつかみ、北朝鮮の変化を見極め
ながら、対話を行っていくことではないかとこのように思います。
[アントニオ猪木議員]
最後にスポーツ交流ということでですね。私どもがイラクの人質の解放の時
もスポーツの一団、プロレスの一団を連れて行きましたが、そこで胸を開いた
本当の会話が出来る。今言われたとおり、壁は本当に高く、拉致という問題が
あります。その中で対話という先ほど言われた話し合いの場で、その先にある
もの。私はこの前もその招待状をいただくときにですね、とにかく、とことん
ひざを突き合せて話をしましょう。その時にどちらかが当然、喧嘩別れになる
ような結果では困ります。次につながるような話し合いで終わらせてください
ということで、先方の皆さんにお話しをしまして。そして、出来れば、先ほど
ご答弁いただきましたが、その訪朝団に対してですね、政府の安倍総理が一番
信頼のおける方にご同行していただければ、何か今言われた壁の向こうに一つ
の明かりがあるのではないかと。そんな私のいままでやってきた「闘魂外交」
ということなのですが、ひとつその辺については総理はどうお考えでしょう。
[安倍晋三内閣総理大臣]
人と人とを結びつける上において、スポーツとか文化の力は大変大きな力を
持っていると思います。プロレスにおいてもですね、私も子供の頃、猪木さん
対ブルーノ・サンマルチノとの戦いを、手に汗握ったことも覚えております。
ハルク・ホーガンとの闘いもテレビの前で熱中したことも覚えておりますが、
しかし北朝鮮におきましては、先程来申し上げましておりますように拉致問題、
核問題、ミサイル問題を解決する上において、国際社会とともに連携をとりな
がら、制裁を課しているわけでございまして。対北朝鮮措置を行っている中に
おいてですね、我が国から北朝鮮への渡航の自粛を要請をしているわけでござ
いまして。その中において北朝鮮との音楽やスポーツ等を通じた交流、あるい
は議員との交流、そうしたものを踏まえてですね、適切に対応されるべきもの
だと、このように思っております。
[アントニオ猪木議員]
飯島参与も行かれたこと、非常に第一歩を踏み出したことだと思いますが。
まあ、あとでお聞きします。政府も了承の上で行かれたということでですね、
そういうような壁が厚ければ厚いほど、私どもはそこに向かって体当たりをし
ながら、本当に日本の国家のために頑張ってまいりたいと思います。時間がも
うあれなんで、本当にまだまだたくさん聞きたいことがありましたが、今日は
ありがとうございます。
それにしてもヘタクソだ。ちゃんと台本でも書いて、言いたいことをわかり
やすく伝えなくちゃいけないのに・・。せっかくのチャンスなのに勿体ない。
まあ、猪木さんらしいと言えば、そのとおりなんだけど。
大声を出すなと注意されたのに、翌日の外交防衛委員会で、また猪木さんは
元気ですか~っと叫んでいた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140313-00000072-mai-pol
やっぱり、猪木さんは、猪木さんだ。